代表挨拶

久保和行

1982年6月27日出生

広島生まれの広島育ち

高校進学後なんとなく進学を諦めた流れでなんとなくバイトをし

21歳までフリーター生活を続ける

引っ越し屋、食品加工のアルバイト、飲食店、交通整備、アパレル関係、建設関係、寝具の販売、ブロードバンドの案内

ありとあらゆる職を転々とし、いわゆる当時世間で流行っていたフリーターとして活動

システムキッチンの大工仕事の傍ら出向で行った大手家電量販店の配達の仕事に

やっと仕事としての楽しさを見出し、初めての正社員としての就職を果たす

当時、進学した友人たちと社会人としての差がつくことを恐れたのもあり必死で働く

運送業に従事していたにも関わらず、2輪の免許しかもっていないという異色の経歴の為

人を使う事と段取りをする事で役に立とうと考え、積極的に色々な職務をこなす

いきなり発生した社会的責任に戸惑いながらもやればやるだけ評価されるというのと

「任せられる」という事に喜びを覚え時間が経つのも忘れて仕事に没頭していく

主にはチームの職務内容の運行内容の管理をしていくことになるが若い時分にそういった仕事をさせて頂いた事は物凄く良い経験になりました。

しかし、若さも相まって評価の事で当時の社長と喧嘩し会社を離れる事になる

そして人生1度目の個人事業主としての社長業をする事になる

屋号はKOサービス。単純に二人のイニシャルから取った名前である

以前従事していた取引先からの仕事を受けて同じことをやるというだけの内容であったが

「会社」という後ろ盾がない中、苦心することは沢山ありました。

全て自分の肩にのしかかってくるというのと

荷物に左右される利益で安定した収入には繋がらないという事に不安を覚え

二人で話し合った結果「もう1度就職する」という考えに至ります

そこで中古車販売サイトを運営するGoonetに応募、就職。

仕事内容はGoonetの契約、取材などの営業活動です。

人と話すのが好きだったので「営業」という仕事に興味があり働き始めたものの

結果は散々な物でした。

1年もたずに退職する事となり

「 後の人たちの苦労を忘れてはいけない 」と当時直属の上司に言われましたが

辞めたいばかりで自分の事だけ考えて逃げ出したという状況でした。

※ 現在ではその当時の恩返しをする為陰ながらGoonetを宣伝しております。

その後「食べるのが好き」という事を活かしたまたまイエローブックで見つけた「廣記商行」に就職します

いまに繋がる食品関係の卸売りの仕事です。

皆さんおなじみの味覇(ウェイパー)の会社で、中華食材を軸に販売をしている会社です。

特に試作やメニュー提案が好きで、食材に対する好奇心が爆発し寝る間も惜しんで勉強し、案内して回る日々

他社からの切り替えに注力し、特に当時面接で落とされた西原商会さんの商品に関しては上白糖の1つから執着し伝票をしつこくチェックする事が生きがいでした。

しかし、空回りしていた部分も多くこれも数年で退社する事に

まだ若さ故に自分が正しいと信じて疑わないことを譲れないという青さがあったり

今では考えられませんがコミニュケーションの苦手だった時期でもあります。

そして営業としての仕事で生きて行くと決めていた自分は

とにかく成績や結果が物を言うという仕事に絞って就職活動を始めます

しかし、20代後半にさしかかり、たいした学歴も結果もない私は就職活動に躓きます

そんな中拾って頂いたのがアパマンショップを展開するケイアイホームでした

当時の面接官の方は履歴書を見るなり

「想いを語って欲しい」

と言い

「働きたいです」

と必死に訴えること数分

わかりましたと採用になりました。

前日に不動産会社の同業他社ではじかれた事がありましたのでそれはそれは嬉しかった事を覚えています。

そこからは何に差し置いても実力だけが物を言う世界というのを目の当たりにし

ただただ数字を必死に追う毎日でした。

特に勉強になったのは結果から考える思考です。

多くの事に取り掛かっていても結果を見て行動していれば数をこなして行ける

その結果というのを論理的に説明する事によって自分で判断できるという裁量を手に入れるという事も知りました。

私が今こうして販売で食っていけるのもそこでの経験あってこその物と思っています。

しかし、あまりに仕事にのめり込み過ぎたので精神に少し疲れが出てきて

時間の取れる歩合の仕事を探し転職

ここでようやく車屋の仕事に着きます。

営業らしい営業が居ない環境で

社長と整備士さんの2人でやっている会社で

始めは展示場に置いてある汚れた車を洗車する所からのスタートでした

歳は30。もう若葉マークで何かを始めるのにはなかなか厳しい年齢だったけれども

会社が小さかったせいかほぼすべての権限があり、なんでも自分である程度決めれるという裁量があったのでどんどん成長することが出来ました。

車屋だったのに「居酒屋」「不動産」「保険業」いろんな事をやってみていい経験にはなりました

そこから方針転換による業務縮小をきっかけに独立し

今に至るというわけです。

長々と読んで頂きありがとうございます。ほんの1部の抜粋になりますが僕の履歴です。

社長をやっている人というと何かの想いがあったり、強い意志があってそうなった

もしくは親から受け継いだなどが普通ですが

私は今頼ってくれるお客さんを置いて他の仕事に就けなかった

というなんでもないきっかけで今の仕事を始めました。

でもこうして年月が経つと諦めきれない思いややりたいことも出来てきます。

今はコロナ禍でかなり経営状況も厳しいですがそれでも前を向いてやって行こうと思います。

一生懸命頑張ってみんなが応援したくなるような会社に出来るよう精一杯やっていこうと思いますので久保和行商会をよろしくお願いいたします。

 

 

代表 久保和行

じがぞう

今やりたい事

現在は車の事業を軸に少し農業をやっているという状況ですが

先々の事を考えて徐々にウェイトを農業や食品の販売に傾けて行きたいと考えております

この度のコロナで車という産業は社会情勢に大きく左右されるという事を思い知らされました。

車という仕事は世間や銀行さんが評価の対象とする売り上げというものを作るには必要不可欠な商売です。

軸として残しながら今後は自社生産の食品を販売しつつ、結果を出したあかつきには日本各地のまだ売れてない素晴らしい食品を探し、案内していければよいなと思います。

現在自社独自の食品の生育に勤しんでおり、うまく出来上がったら

会社を変える大きなきっかけにもなってくると思っています。

その日が来るまで会社を傾かないように支えて行く今はそんな思いでやっています。

 

 

 

 

 

 

農業開発事業部

現在当社が目指しているのは2つ

① 農村部への移住と就農のモデルケースの構築

② 農業従事者の労働環境、財政面の向上

です。

①に関しては現在巷で流行っている移住や就農に関してはほとんどが夢物語で終わっているという現状に酷く落胆し、しっかりとした土台を築いて

こうあるべきだ。というのを世に示し、一つこれから始める人の道しるべになって行ければなと思っております。

色んな夢や希望もをって田舎に移住する人たちも決してはじめから夢破れて都会に戻っていくという事がしたいわけじゃあないと思います。

ですが、自治体は絵空事とも思えるような事でも面白いとか公益性があると思えば補助金でGOサインをし後押しするわけです。

ですがいざ移住して見て「生きていく事」の難しさに直面します。

慣習の違いや地域づきあいの難しさに躓くのはカバーできませんがそこに経済活動をする場を作る事は私達には出来ます。

現在のそれへ向けての活動は単純に沢山の畑を借りて耕作面積を増やして行くというあいまいな物ですがいずれたどり着きた先には

新しい雇用が待っています。

現地で作業する兄も鳥栖市からの移住で本格的な田舎暮らしは初めてです。ですが持ち前の知識と体力で近隣からは引く手あまたで仕事には困っていないそうです。ですが、今からはじめたいという熱意だけの人はそうはいかないと思います。

でもそういった人たちでも気持ち一つで現地に手ほどきをしてくれる人間と仕事さえあればやっていけると私は思っています。

4,5年先をめどに実現させたいと思っております。

②は兄が移住し農家からの依頼を受け働くにつれて色々な事実を知り

なんとか暮らしを楽にさせる事は出来ないかと考えました。

みなさんが道の駅などで楽しみに行かれる産直市。あそこへ出品するとなんと売れ残りは持って帰らないといけません。当然ロスが出ます。

農協の規格を通らず、はじかれた食材は安価で買いたたかれてしまいます。

食材の仕事をしていた私にとっては耳を疑うような価格で取引されている事に憤りを覚えざるを得ませんでした。

商品は安くても高くてもいけない。常に適正値を目指す

適正価格とは「売り手」「買い手」「消費者」の三方良しの価格の事です。

値段を適正に捉え、ロスを無くせば労働時間も削れ利益も上がるはずです。

ただ今はそれを訴えるにはまず、自分自身がその事業で成功しないといけません。

これは私たちがまず養鶏、山菜の販売の事業で成功し、あそこに販売を任せたいと思って頂かないといけません。

それら二つの目標を達成する事が出来ればこれから先の日本の農業に携わる人たちの光となれると信じております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日之影町

総合食品事業部

総合食品事業部の理念は水産部門のストーリーをまずはご覧ください。

私は卸売業を通じ冷凍食品のエキスパートとして世の中に埋もれる優秀な食材を掘り起こしていきたいと思っております。

輸入が正規に始まり、冷凍庫を借りる事となればその他の食材も積極的に仕入れていき、いずれ西原商会と並ぶ会社になりたいと思い

「久保和行商会」と名付けました。

いずれ水産部門は食品部門となり特殊食材の総合商社を目指していきます。

世の中にはまだまだ珍しいもの、価値がある物は沢山あります。

ただそれが皆さんの所まで達していないだけであって。

単純に私は食通を唸らせたり、新しい味を見つけて喜ぶみなさんの顔が見たいだけです。

 

 

 

 

 

台湾

会社概要

商号 株式会社 久保和行商会(KKS)
事業内容 自動車販売・買取・整備工場
農業
代表者 代表取締役 久保和行
所在地 〒731-5115
広島県広島市佐伯区八幡東3-5-8
TEL 082-942-1789
FAX 082-942-5952
創業年月日 平成30年6月1日
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